アダルトチルドレンの探しものは本の中

毒親育ちが毒抜きについて書くブログ 

親子関係の葛藤 愛されずに育つ子どもの行き場

普通じゃない育ち方をする人は世の中にはたくさんいることだろう。

普通ってなに?って話になったら、元も子もないのだけど。

 

毒親であろうが毒親でなかろうが、

どの親も完璧ではないし、

それぞれに相性もある。

 

だから、当然、ラッキーがあるわけだけど、

完全なるアンラッキーってこともある。

そもそも、子どもを育てようと言う覚悟と、セッ◯スの意欲が

一致していない以上どうしようもない。

そういう構造である以上、どうしようもない。

だから、子どもを大切にしないことも起こりうるんだろう。

そんな子どもは、愛されていないことくらいお見通しだ。

 

そうかと思えば、一方では、子どもが欲しいと不妊治療に励んでいたりもして、

なんでこう、うまくいかないかなって思う。

 

いやいや、つまり、私が言いたかったのは、

なんで?という疑問を誰にも解消してもらえずに

育たなければならなかった人は、

文章を書くようになるんじゃないかって思いたい。

 

親が精神的に成熟してない。

子どもの気持ちに寄り添えない。

子どもは理不尽をじっと耐える。

 

だけど、大人になっていざ社会で生きていこうと思うと、

自分の基準が普通と違っていることに気づく。

なんだか、心の仕組みが周りと違っていて、

居心地の悪さを感じるようになる。

なんだか、自分だけが、違う星から来たみたいな気持ち。

 

そういう時に話を聞いてくれる人に出会えれば最高。

だけど、毒親育ちは、じっと一人で耐えてきている人が多いから、

人に話すという習慣もない人も多い。

 

だから、また子どもの頃と同じやり方で、じっと心を固くして、

自分の息を最小限に小さくする。

気を使う。

 

存在を小さくして、だけど、神経だけは誰よりも過敏に動かしてる。

 

そんな生き方で楽しくなるわけがない。

 

だから、書く。

誰に向かってってこともなく、書く。

書くしかないんだよ。

ねえ。

そうだよね。

 

私はずっと書きたいと思ってきた。

書いたノートは何冊だろう。

ある程度、溜まったら破って捨てるを果てしなく繰り返してる。

誰にも見せない。

 

本当は誰かに見せたい。

憧れる。

だけど、なんだろ、

人が読むって思ったら、書けなくなる。

(今書いてんじゃねえかよ?って?笑)

書けたとしても、続かなくなるんだ。

何かしらの理由が発生して、ツイートもブログも続かなくなる。

 

怖くなるんだろうか?

インナーマザーが怒っている気がする…のか?

インナーマザーが邪魔してる…?

私が、外とつながることを。

 

自分を誰かに知られてはいけないという無意識が働くんだろうか?

家の話は、外で話してはイケナイ。

そう言われたわけでもないのに、家の話は外でしてはいけなかった。

まるで、催眠術でもかけられたみたいに、

私の喉は完全にロックされていた。

そもそも伝える方法がない気がしていた。

私は、どこにも行けない。

誰かに話すくらい自由のはずなのに。

私は自由じゃない。

もうあの家は、とっくに出たのに。

いつまで私は自由になれないんだろう。

いつまで

いつまで、続くんだろう。

 

きっと簡単なカラクリなはず。

ちょっと、気づいてないだけ。

多分、きっと、なんてないこと。