アダルトチルドレンの探しものは本の中

毒親育ちが毒抜きについて書くブログ 

離人症と人間関係

離人症

 

と言うのがあるらしく、

幽体離脱のような…?

自分の人生に実感がないというか、

自分のことなのに、他人事みたいに感じてしまう…

 

離人症性障害」

 

ともいうらしい。

 

放心状態のままで

夢の中に生きるようにして生きているような状態。

 

斎藤学先生の本に書いてあった。

『インナーマザー あなたを責めつづける心の中の「お母さん」』

 

私は、たまに離人症性障害と気づいた。

(たまに?だと自分では思いたい)

 

子どもの母親としての義務や役割の中で

人間関係を作ろうとする時、

私は、自分を他人事として見るようにしてきたんだと

これを読んで思った。

だから、人付き合いにあまり実感がなくて。

なんかどの人に対しても、今となると現実味がない。

 

子どもが生まれてからの両親と接する時もそうだ。

会社の上司に接するかのように接してきた。

自分の両親だという感覚を最小限までにしてた。

子どもの祖父母であって、私はにそんなに関係のない人みたいに心の中でしちゃう。

自分の子どもによくしてくれる人。

自分の子どもにお小遣いとかくれる人って捉え方。

自分の親ではないんだけど、私の子どもの祖父母ではある、

という捉え方をすることにより、

なんとか自分の心を保っていたように思う。

 

子どもの学校の先生に接する時も。

私にとって、学校の先生は、自分の両親を連想させるものだった。

えこひいきしたり、好き嫌いが激しい先生がいたのだが、

母親を連想させて不愉快だった。(はずだ。本当の私の内心で、は、)

 

男性の学校の先生では、

女性を外見で見ている感じが父親みたいで気持ちが悪いと感じる先生がいた。

外見が良いお母さんに対しては妙に愛想が良くて、

態度の差があるように見えてしまって気持ちが悪いと、

本当は感じていたものの、

それも、まるで他人事のように捉えて、

その嫌悪感を遠くに置いていた。

嫌悪感を感じないようにすることができるので、

その先生とも笑顔で会話ができた。

 

同時に外見で人を選ぶようなモノサシを持っている人の前では、

美人ではない自分はどこまでも価値がなく、

無力なんだという打ちのめされた気持ちも同時に味わっていた。

ってことも、また、遠くに置いていたので、

落ち込まずに過ごせた。

 

 

「そんなこと感じてないよ。別に。」

 

ってスイッチを入れれば、

感じている感覚の5〜10%くらいにまで感覚を小さくできるんだって、

気づいた。

 

無意識でやってるんだって、気づいた。

 

子ども時代をそうやって、乗り切ってきたんだ。

心をそうやって守ってきたんだ。。。